近代風刺漫画の先駆者である北沢楽天は、大宮で生まれた。また晩年に暮らした
住居は楽天亡き後は旧大宮市に寄贈され、現在「さいたま市立 漫画会館」として、
一般に開放されている。
今回の特集では、小紙1面で『巻き尺持って、まいにち街へ』を連載している大宮区
在住のイラストレーター・吉野忠夫さんに大宮駅東口から漫画会館まで案内してもらった。
日本近代漫画の先駆者旧大宮市の名誉市民第1号
北沢楽天(本名・保次)は、明治9(1876)年7月20日、大宮の旧家・北沢家の四男
として生まれる。東京・神田錦華小学校高等小学科に入学。主席で図画に秀でていた。
卒業後に横須賀の井上春瑞に師事。さらに麹町にあった画塾「大幸館」などで西洋画の
修行を積む。
明治32(1899)年、23歳の楽天は、福沢諭吉の創立した時事新報社の社長・福沢
捨次郎に見出され、絵画部員として迎えられる。新聞紙上に挿絵や政治風刺画、コマ
漫画を描き、日本における職業漫画家第1号として活躍する。
晩年になって、父祖の地・大宮に戻り、昭和30(1955)年に亡くなるまで、作画
三昧の平穏な生活を送った。
楽天は亡くなった翌年に、旧大宮市から、名誉市民第1号に推挙される。また、その後、
いの夫人から遺作や遺品、住居が大宮市に寄付され、昭和41(1966)年に漫画会館が
開館する。
北沢家始祖は寿能城家老 紀州徳川家御鷹場御鳥見役も
北沢家の祖は、戦国時代の末に岩槻太田氏の出城として築かれた寿能城の家老・北沢
宮内にはじまる。
北沢甚之丞(六代北沢宮内直清)屋敷は、寛永5(1628)年に中山道が開通した時に、
大門通りから現在の高島屋の場所に移り、紀州徳川家御鷹場の御鳥見役を拝命し、同時に
紀州御鷹場本陣と定められた。明治元年に大宮県が設置され、明治2年に選ばれて北沢家
が大宮県庁舎となった。県庁が浦和宿に移ってからは、大宮学校(大宮小の前進)として
利用された。
現在、この場所は高島屋となり、その屋上に北澤稲荷がある。
近代漫画の父 北沢楽天 ゆかりの美術館
さいたま市立 漫画会館
さいたま市北区盆栽町150
TEL 048-663-1541
FAX 048-667-4921
開館時間 9:00~16:30
入館料 無料
休館日 毎週日曜日
(祝日の場合は開館)
祝日の翌日 年末年始
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